市立銚子高校出身のプロ野球選手一覧表

窪田淳

投手 市立銚子高-帝京大-阪神 1999年 ドラフト6位

千葉県銚子市出身。右投右打。市立銚子高では長谷川昌幸の控え投手だった。帝京大学に進学後は3年生までリーグ戦未登板だったが、スリー・クォーターからの140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器に4年生の時にエースになる。首都大学リーグ通算10試合登板、5勝2敗。1999年に阪神タイガースにドラフト6位で入団。

当時のチームには数少ない速球派の投手として期待されたが、2年間で1軍出場はなく2001年のオフにオリックス・ブルーウェーブへ金銭トレードで移籍。移籍後は1軍登板もあったが、結果が残せず2003年プロ入り初勝利をあげたオフに自由契約になる。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
2000阪神
2001
2002オリックス700010.159.58
2003711010.267.59
通算4年1411021.0118.57

長谷川昌幸

投手 市立銚子高-広島 1995年 ドラフト1位

茨城県神栖市出身。右投右打。市立銚子高から1995年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。1997年8月10日の対阪神タイガース戦でプロ初登板初先発勝利を収める。2001年には9勝を挙げ、期待の若手投手として頭角を表す。そして2002年は細身の体から投げ込むストレートと切れ味鋭いカーブを武器に自己最多・チームトップの13勝を挙げる。また、この年に引退したヤクルト・池山隆寛の現役最終打席の際にマウンドに立ち、空振り三振に打ち取っている。

2005年シーズンから入団当時からの背番号19から、「メジャーっぽいから」との理由で、ジャッキー・ロビンソンのつけていた42に変更。2010年5月15日に交換トレードでオリックス・バファローズへの移籍が発表された。背番号は25。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
1996広島
1997210010.1103.38
199810001.0236.00
19991013022.275.96
20001002023.0203.13
200122960137.01143.22
20023013100194.11533.84
200320210097.0785.29
2004421019.2205.49
2005232100186.0736.49
200629130654.2573.95
2007265501128.1832.95
200814360159.2286.94
200910310032.0243.94
2010201005.1411.81
オリックス6030029.1154.30
2011
通算16年209426109900.16884.44

銚子利夫

内野手 市立銚子高-法政大-大洋 1983年 ドラフト1位

茨城県神栖市出身。右投右打。1979年の市立銚子高ではエースで4番を打ち、夏の甲子園に初出場。元来は内野手だったが、チームの事情により、2年生の秋に投手に転向。1979年夏の甲子園に出場するが、初戦で敗退。同年秋のドラフトで近鉄バファローズから4位指名を受けたが拒否。その後、法政大学に進学し再び内野手に復帰した。1983年秋のドラフトで横浜大洋ホエールズから1位指名を受けて入団。1988年には三塁手のレギュラーとなるが1990年に清水義之にレギュラーを奪われると以後控えに甘んじる。1992年に長内孝との交換トレードで広島に移籍。1993年に現役引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1984大洋561041513117.144
1985512010103.050
1986
198782370005.304
1988125425115023659.271
1989114402113226853.281
199037611702015.279
1991183470307.206
1992広島13710014.143
1993111220202.167
通算10年433108827836016165.256

石毛宏典新人王MVP

内野手 市立銚子高-プリンスホテル-西武 1980年 ドラフト1位

千葉県旭市出身。右投右打。市立銚子3年生時の1974年にドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受けるが入団を拒否。駒澤大学へ進学。東都大学リーグ通算107試合出場、378打数114安打、打率.302、7本塁打、57打点。ベストナイン6回。4年生秋季のリーグでは首位打者になる。通算114安打は藤波行雄の133安打、高木豊の115安打に次ぐリーグ3位。プリンスホテルを経て、1980年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名され入団。

1981年、新人で開幕スタメン(遊撃手)出場を果たし、ロッテオリオンズの落合博満と首位打者争いを演じるなど1年目から活躍。長嶋茂雄以来の新人打者として打率3割を達成し、新人王を獲得。以後、1番打者として活躍。巨人との「盟主決戦」と謳われた1983年の日本シリーズでは第6戦で1点ビハインドの9回裏1死満塁で同点打を放つなどの活躍。1986年はシーズンMVPを獲得。

中日との1988年の日本シリーズでは全5試合で遊撃手としてフル出場。日本一を決めた第5戦では1点リードされた9回裏、リリーフエース郭源治からバックスクリーンへ起死回生の同点本塁打を放つなど活躍し、シリーズMVPを獲得。1994年オフ、辞任した森祇晶の後任監督を打診されるも拒否し、FAを行使して1995年に福岡ダイエーホークスに移籍。翌年の1996年、現役を引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1981西武12140912721552596.311
1982124464120155422112.259
198312843913316642963.303
198412445211726712682.259
198513050414127761186.280
198612951416927891971.329
198713052514111411489.269
198813050814421632279.283
198913048613116632866.270
1990100359107847741.298
19911224171121361864.269
19921254381308521180.297
199312243413315531283.306
19941113801011146879.266
1995ダイエー5212024111031.200
1996182330115.130
通算16年1796647218332368472431127.283

坂本照彦

内野手 市立銚子高-大洋 1976年 ドラフト4位

千葉県出身。市立銚子高では、3年時の1976年夏の千葉県大会では、宇野勝や尾上旭らがいた銚子商業高に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で大洋ホエールズから4位指名されるが入団を拒否する。高校卒業後は駒澤大学に進学。東都大学野球リーグではベストナインにも選ばれた。卒業後は電電関東に入社し、1981年の都市対抗野球に出場し、社会人ベストナインにも選ばれた。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
備考入団拒否