印旛明誠(印旛)高校出身のプロ野球選手一覧表

増田政行

投手 印旛高-国士舘大-ヤクルト 1991年 ドラフト3位

茨城県北相馬郡利根町出身。1993年から1996年までの登録名は増田 康栄(ますだやすひで)。印旛高から国士舘大を経て、1991年のドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。オーバースローの本格派右腕で、ストレートは最高148km/h。主な変化球はカーブ、スライダー。1999年限りで現役を引退。引退後は社会人野球・鷺宮製作所に在籍した。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
1992 ヤクルト 9 0 1 0 19.2 16 5.49
1993
1994
1995 1 0 0 0 2.0 2 4.50
1996 22 1 2 0 36.1 25 4.21
1997 4 0 2 0 4.1 2 10.38
1998
1999
通算8年 36 1 5 0 62.1 45 5.05

名洗将之

内野手 印旛高-日本ハム 1986年 ドラフト3位

千葉県銚子市出身。印旛高校では土橋勝征と同期で、3年夏には県大会準優勝。1986年ドラフト3位で日本ハムに入団。1991年に現役引退。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
1987 日本ハム
1988
1989
1990
1991
通算5年 一軍公式戦出場なし

土橋勝征

内野手 印旛高-ヤクルト 1986年 スワローズ ドラフト2位

千葉県船橋市出身。印旛高校の時代は長打力に長け、高校3年夏の千葉大会は決勝戦で、飯田哲也を擁する拓大紅陵高校に敗れたが、この時に記録した1大会5本塁打は、現在も千葉大会の最多本塁打記録である。1986年のドラフト会議でヤクルトに2位指名され入団。背番号は38。入団後は打撃面で伸び悩み、試合終盤の守備固めの控え選手的な存在だった。また、内野守備でもイップスにかかり、野村克也監督の指示で外野手にコンバートされる。1993年8月22日の阪神戦は田村勤、1994年6月10日広島戦は大野豊からサヨナラ本塁打を放っている。1994年、前年オフに退団したレックス・ハドラー二塁手の後釜として桜井伸一、笘篠賢治、柳田聖人らが起用されたが定着できず、6月には土橋が外野手から二塁手として復帰する。バットを短く持ち、右方向に流し打つ打撃に転向、一時3割を越える好打率を記録。イップスも解消され、入団8年目にしてレギュラーの座を勝ち取った。引退後、2007年よりヤクルト二軍打撃コーチに就任。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
1987 ヤクルト 1 1 0 0 0 0 1 .000
1989 9 12 1 0 0 0 5 .083
1990 13 12 1 0 1 0 3 .083
1991 39 64 15 3 9 0 22 .234
1992 59 108 31 6 16 2 25 .287
1993 98 137 36 3 16 3 23 .263
1994 106 307 78 12 28 4 34 .254
1995 129 459 129 9 54 7 51 .281
1996 109 370 103 6 35 7 50 .278
1997 101 355 107 8 61 4 39 .301
1998 117 397 103 9 52 2 42 .259
1999 39 144 36 1 9 0 20 .250
2000 115 365 82 1 27 2 58 .225
2001 137 442 110 2 31 1 35 .249
2002 62 168 37 1 10 0 29 .220
2003 89 268 81 6 27 0 27 .302
2004 111 327 103 9 34 3 37 .315
2005 101 247 64 3 14 0 29 .259
2006 29 25 4 0 3 0 4 .160
通算19年 1464 4208 1121 79 427 35 534 .266

山中律俊

内野手 印旛高-南海 1983年 ドラフト4位

茨城県北相馬郡利根町出身。印旛高校時代は1982年の神宮野球大会に出場、翌1983年夏の第65回全国高等学校野球選手権大会に遊撃手で出場しチームは3回戦まで進出した。この大会の県予選で三試合連続本塁打を記録している。同年秋のドラフト4位で南海ホークスへ入団。4年間在籍したが、一軍未出場のまま引退。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
1984 南海
1985
1986
1987
通算4年 一軍公式戦出場なし

月山栄珠

捕手 印旛高-阪神 1981年 ドラフト3位

千葉県柏市出身。中学までは投手だったが印旛高校進学後に捕手に転向した。後に阪神に同期入団する佐藤文男とバッテリーを組む。1981年のセンバツに出場し3番打者として活躍、準決勝の上宮高校戦でレフトラッキーゾーンに本塁打を放った。決勝戦ではPL学園高校に敗れたが月山は超高校級捕手として注目を集めた。元々は、早稲田大学へ進学する予定だったが、1981年のドラフト3位で阪神に指名され入団。この後、佐藤はドラフト外で阪神に入団している。またチームメイトで1番打者の二塁手の村上信一は阪急に入団した。プロでは1984年に一軍デビューしたが、1986年1月に選手寮の虎風荘の階段を踏み外して左肩を骨折。更に肝炎を患ったことで選手生命を縮め、翌1987年7月に現役を引退した。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
1982 阪神
1983
1984 6 3 0 0 0 0 0 .000
1985 8 13 2 0 1 0 5 .154
1986
1987
通算6年 14 16 2 0 1 0 5 .125

[chiba]