習志野高校出身のプロ野球選手一覧表

古谷拓郎

投手 習志野高-ロッテ 2018年 ドラフト6位

千葉県鎌ケ谷市出身。右投右打。鎌ケ谷市立第二中学校3年生のとき、札幌テレビ放送の「熱烈!ホットサンド!」の撮影で鎌ヶ谷市を訪れていたサンドウィッチマンと対面。そのときにすでにロッテ入りの夢を語っていた。習志野高では、3年夏の千葉県大会・準決勝で中央学院高に敗れ、甲子園出場は経験しなかったが、2018年のドラフト会議でロッテから6巡目指名を受け、契約金3,000万円、年俸460万円、背番号65の条件で契約合意。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
2019ロッテ
2020
通算**年

福田将儀

外野手 習志野高-中央大-楽天 2014年 ドラフト3位

千葉県山武市出身。小学校2年生の時に松尾キングスターズで野球を始め、松尾中学校時代は「九十九シニア」で投手としてプレー。習志野高では1年生で中堅手のレギュラーを獲得。3年夏の千葉大会では準決勝で成田に3-4で敗れた。

中央大では1年春に中堅手のレギュラーを獲得。4年の秋季リーグでは打率.328、10打点、2本塁打、6盗塁と初の3割越えと本塁打を記録し、2度目のベストナインを受賞。2014年のドラフト会議で楽天から3位指名を受け、契約金5500万円、年俸1000万円で入団した。2017年に戦力外通告。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
2015楽天6718540112545.216
201636601228211.200
20179710111.143
通算3年11225253321857.210

山下斐紹

捕手 習志野高-ソフトバンク 2010年 ドラフト1位

北海道札幌市出身。5歳の頃に家族と千葉県千葉市に転居し、6歳の時に4歳上の兄の影響を受け小学校で投手として野球を始めた。最初は右打ちだったが、4年生時に足の速さを生かすため左打ちへ転向。千葉市立磯辺第二中学校に進学して硬式野球の千葉西シニアに所属。野手に転向して外野手を中心にプレーした。習志野高進学後に、捕手へと転向。1年夏からベンチ入りし、秋からはレギュラーに定着。秋季関東地区大会を2位で終え、2年春には第81回選抜高等学校野球大会に出場した。

チームは2回戦で敗退を喫するも、2試合で5打数2安打1打点をマーク。2年秋から主将を務め優勝候補の筆頭に挙げられたが3回戦で敗退した。3年春は県大会を制し、関東大会で準優勝した。3年夏の千葉県大会では2本塁打を含む16打数10安打をマークした。準決勝でこの年の甲子園出場校・成田と対戦、適時打一本を放つも、相手エースである中川諒に2三振を喫し、3-4で敗れた。2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクから1位指名を受け入団。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
2011ソフトバンク
2012
2013111440003.286
20141000000.000
201511610001.167
2016132660108.231
20171210000.500
2018楽天43961929022.198
201931601135013.183
2020
通算**年

上野啓輔

投手 習志野高-上武大中退-ジャパン・サムライ・B-米マイナー-香川OG-ヤクルト 2010年 育成ドラフト2位

千葉県船橋市出身。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。習志野高に進学し、3年時にエースとして活躍。3回戦でAシードの我孫子を2安打完封に抑え、長身ピッチャーとして注目された。しかし、4回戦で専大松戸に1-0で敗退する。上武大学に進学するも、1年で中退。中退後は野球から離れ半年間フリーター生活をする。2010年に育成2位でヤクルトに入団。2013年1月に現役引退の意向を示した。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
2011ヤクルト
2012
通算2年一軍公式戦出場なし

松比良平太

捕手 習志野高-近鉄 1998年 ドラフト7位

埼玉県所沢市出身。習志野高から、1998年ドラフト7位で大阪近鉄バファローズに入団。2002年に戦力外通告を受け、任意引退。2003年、2004年は近鉄でブルペン捕手を務めていたが、球団が消滅したため2005年から新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスでブルペン捕手を務めている。2008年には北京オリンピック野球日本代表のチームスタッフも務めた。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1999近鉄
2000
2001
2002
通算4年一軍公式戦出場なし

福浦和也首位打者

内野手 習志野高-ロッテ 1993年 ドラフト7位

1993年ドラフト7位で投手として入団。しかし半年で3回肩を壊し打者に転向。入団4年目の1997年に振り子打法を引っさげ一軍デビュー、即座に一塁のレギュラーに定着。しかしその後は石井浩郎、ボーリック、初芝清などにポジションを譲り外野を守ることも多くなった。

2001年に一塁手に復帰し、才能が開花。7年連続首位打者のイチローがメジャーリーグに渡った最初の年に、小笠原道大(当時日本ハム)との熾烈な争いを制し打率.346で首位打者を獲得した。また18本塁打を放ち、初芝清以来不在だった千葉ロッテの和製大砲としての期待にも応えた。2019年、選手兼任で二軍打撃コーチに就任するが、1月24日に今シーズン限りでの現役引退を表明。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1994ロッテ
1995
1996
19976721863623036.289
1998129465132357178.284
199911425671335038.277
2000131446132756159.296
20011204511561867074.346
2002135493148966273.300
20031405671722176289.303
20041285061591173282.314
2005114434130672055.300
2006114436136452052.312
2007110395102457044.258
200810531078144049.252
2009129396108639165.273
2010116322951361047.295
201111635880343072.223
20128418045025027.250
20137814032017030.229
2014439226015014.283
20157317347221134.272
201636822007012.244
20177013430018025.224
20188218138111034.210
20191400000.000
通算26年223570392000118935101089.284

花島寛己

投手 習志野高-ロッテ 1991年 ドラフト4位

千葉県習志野市出身。習志野市立大久保小学校、習志野市立習志野第二中学校を経て、習志野高のエースとなる。1991年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに4位で指名され入団。マリーンズ誕生後、初の地元出身選手として注目された。

なお、中学、高校では同じくロッテに入団した福浦和也の2年先輩にあたる。186センチの長身から投げ下ろす速球を武器としたが、一軍での登板は無く1995年に引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1992ロッテ
1993
1994
1995
通算4年一軍公式戦出場なし

城友博

外野手 習志野高-ヤクルト 1987年 ドラフト6位

千葉県習志野市出身。習志野高校時代は1番・センターで1987年の夏の甲子園に出場し、俊足を評価され、同年のドラフト6位でヤクルトスワローズに入団。入団後も俊足を発揮し、1990年にイースタン・リーグで盗塁王と最多安打、翌1991年もイースタンで盗塁王を獲得した。

1992年に一軍に定着し、83試合に出場。14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1993年、飯田哲也の怪我のため、主にセンターで96試合に出場。1997年、自家用車で停車中、トラックに追突され椎間板を損傷。これが結果的に選手生命を縮めることとなった。1998年に自由契約となり阪神タイガースにテスト入団するものの、翌1999年に再び自由契約となり現役引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1988ヤクルト
1989
199041130012.273
1991
19928318842021037.223
199396283731261151.258
19942736100135.278
199571107261101112.243
1996424990209.184
1997302270022.318
19984200000.000
1999阪神5300002.000
通算12年36270117024138120.243

大塚賢一

投手 習志野高-南海 1986年 ドラフト4位

千葉県習志野市出身。習志野高から1987年に南海に入団。1990年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。ダイエー時代の1991年12月、同球団のドラフト10人指名の余波を受け本村信吾、山田武史とともに保留選手名簿に記載されたにもかかわらず解雇通告を受けた。

本村の提訴により本村は参稼報酬同額の補償裁定(1991年の年俸と同額)を勝ち取り、同じく山田は参稼報酬の9割相当額(1991年の年俸の9割)で和解が成立しているが、大塚は現役続行を希望し広島のテストを受け合格し入団した。1992年オフに前田耕司とのトレードで西武に移籍。1993年に現役引退。西武の打撃投手に転向し2010年に退団する。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
1987南海

ダイエー

198810001.100.00
198910001.1020.25
199010000.100.00
1991
1992広島
1993西武
通算7年30003.009.00

小川淳司

外野手 習志野高-中央大-河合楽器-ヤクルト 1981年 ドラフト4位

千葉県習志野市出身。中学時代は三塁手としてプレーし、目立った実績のないまま地元の習志野高に進学。体が大きく肩が強かったため捕手にコンバートされたが、故障者が出たのをきっかけに1年生の秋に投手に転向した。肋間神経痛でも走り込みを休めなかったというほどの猛練習を積みエースとなる。2年生の夏の県大会では4回戦で銚子商の土屋正勝と投げ合い、0対2で惜敗。秋の関東大会ではベスト4に入り選抜大会に出場したが、赤嶺賢勇を擁する豊見城に一回戦で敗れた。3年夏の県大会では準決勝で銚子商と再び対戦して自ら2ランホームランを放って勝利し、続く決勝では君津高を破って全国選手権出場を決めた。選手権では3試合連続完封などの活躍を見せ、準決勝で肩を痛めながらも決勝戦でも完投し、優勝投手に輝いている。

中央大では外野手に転向し、東都大学リーグでは通算98試合出場、351打数80安打、打率.228、5本塁打、39打点の成績を残した。また、4年生の1979年には同じ中大から熊野輝光と共に日米大学野球の代表に選ばれ、原辰徳、岡田彰布とともにクリーンアップを任されている。

河合楽器に進み都市対抗野球大会に2年連続出場、1981年のドラフト会議で4位指名されヤクルトに入団。1年目から1軍に定着するもレギュラー獲得には至らず、専ら対左投手要員として起用されることが多かった。守備固めとしての出場も多かったが、長打力に定評があり、3度の11本塁打をマークしている。1991年に戦力外通告を受け、1992年、角盈男との交換トレードにより日本ハムファイターズに移籍し、この年限りで現役引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1982ヤクルト8519742316239.213
19837113133413028.252
1984115278701135049.252
1985118335801130080.239
1986948716310334.184
1987113229551131248.240
198810320760824251.290
19899510628413324.264
1990507713715122.169
19914952825015.154
1992日本ハム4748723016.146
通算11年94017474126619513406.236

掛布雅之本塁打王打点王最多出塁数

内野手 習志野高-阪神タイガース 1973年 ドラフト6位

千葉県千葉市出身。習志野高2年生時に四番打者、遊撃手として1972年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会決勝で優勝候補筆頭の銚子商と対戦。根本隆投手から先制のきっかけとなる安打を放ち、2-0で快勝。しかし甲子園では1回戦では満塁本塁打を放つが東洋大姫路に敗退した。3年生時の1973年夏は県予選準々決勝で、エース古屋英夫を擁する木更津中央に、延長11回の熱戦の末1-2でサヨナラ負け、甲子園には届かなかった。

同年秋、父親が千葉商業の野球部長兼監督だった頃の教え子でヤクルトの二軍監督だった小川善治に入団を頼み込んだが断られ、千葉商業の野球部監督経験者の篠田仁にプロ球団への仲介を依頼。篠田は懇意にしていた阪神タイガースの安藤統男に口利きを頼んだ結果、金田正泰監督へ話が伝わり、事実上の入団テストと言われている2軍のキャンプに帯同し、ドラフト6位指名。契約金500万円、年俸84万円で契約。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1974阪神8316233316138.204
1975106317781129068.246
19761224061322783552.325
19771033811262369458.331
197812946514832102786.318
197912246815348951061.327
198070258591137247.229
19811304581562386154.341
19821304641513595669.325
19831304831433393681.296
19841304421193795383.269
198513047614340108362.300
19866725464934040.252
1987106387881245061.227
19886725263532137.250
通算15年162556731656349101949897.292

谷沢健一新人王首位打者最多出塁数最多安打

外野手 習志野高-早稲田大-中日ドラゴンズ 1969年 ドラフト1位

千葉県東葛飾郡柏町出身。習志野高等学校では2年生からレギュラーとなり、控え投手もこなす。3年生時の1965年、夏の甲子園予選東関東大会の県予選準決勝に進出するが、銚子商の木樽正明投手に完封され大敗。甲子園出場はならなかった。銚子商は甲子園で準優勝。一般入試で早稲田大に入学。東京六大学リーグでは、レギュラーに定着した2年生の1967年春季リーグで首位打者を獲得するなど、東京六大学を代表する左の強打者として活躍。1968年秋季リーグでは田淵幸一らのいた法大に競り勝ち優勝。六大学打撃10傑の常連で大学通算打率.360を記録、ベストナインに6度選ばれた。

同期の荒川尭遊撃手とのコンビは「早稲田のON砲」と呼ばれ、その名にふさわしく両者合計37本の本塁打を放った。4年時には主将。リーグ通算82試合に出場し308打数111安打、18本塁打、63打点、打率.360。1969年のドラフト1位で中日ドラゴンズに外野手として入団。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1970中日1264271071145666.251
19711234231101641761.260
19721304651351553242.290
19731264541341045035.295
19741254661352277251.290
19751294701381771246.294
19761274961761152451.355
19771304931541455551.312
19787018452218127.283
1979111220001.167
19801204251572780259.369
19811274621472879463.318
19821294711322185259.280
19831304851532187156.315
19841305051663499367.329
19851043601041147144.289
198694220601335028.273
通算17年19316818206227396942807.302

醍醐恒男

捕手 習志野高-阪急ブレーブス 1967年 ドラフト6位

千葉県出身。習志野高では3年生の時に、捕手、四番打者として同期の石井好博とバッテリーを組む。1967年の東関東大会決勝で竜ヶ崎一を破って夏の甲子園に出場。準々決勝の富山商戦では5安打。決勝では広陵の宇根洋介投手から適時三塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝を飾る。他の高校同期に三番打者の池田和雄外野手がいる。

打力とインサイドワークに優れた捕手として期待され、1967年ドラフト会議で阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。しかし出場機会に恵まれず、外野手に転向。1971年オフに南海ホークスへ移籍するが、ここでもあまり活躍の場は無く、1976年限りで引退。引退後は南海のコーチ補佐、コーチを1985年まで務めた。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1968阪急1000000
1969
1970
1971
1972南海1000000
19732000000
1974
1975
1976
通算9年4000000

池田和雄

外野手 習志野高-東京オリオンズ 1967年 ドラフト11位

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
備考入団拒否

斎藤喜

内野手 習志野高-阪急ブレーブス 1965年 ドラフト2位

千葉県出身。習志野高時代、高校生・遊撃手No.1の評判だった。また韓国高校選抜軍対全関東高校の試合に選抜され、関東球界では大型内野手として注目されていた。同級生には後に中日ドラゴンズで活躍する谷沢健一がいる。

1965年プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスへ2位指名で入団。晩年は内野手から投手に転向し、選抜選手会議にて中日から指名されるも1970年に引退。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1966阪急181310004.077
196718620011.333
19688511202.200
1969
19701000000
通算5年452441217.167