東海大浦安高校出身のプロ野球選手一覧表

西野真弘

内野手 東海大浦安高-国際武道大-JR東日本-オリックス 2014年 ドラフト7位

東京都江戸川区出身。右投左打。東海大浦安高では甲子園出場経験はなし。 国際武道大では4年生の千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した。JR東日本では、2013年に二塁手として社会人野球ベストナインを獲得。2014年9月に韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打(1本塁打)だった。2014年10月に行われたプロ野球ドラフト会議でオリックスに7位指名され、契約金2,500万円、年俸1,000万円で合意し入団。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
2015オリックス5719158322925.304
20161435381422331655.264
201710028266221846.234
20186018855016728.293
20195616640114124.241
202023691703010.246
2021184160106.146
2022431143308013.289
2023
通算**年

中村一生

外野手 東海大浦安高-国際武道大-中日 2004年 ドラフト7位

東京都江戸川区出身。東海大学付属浦安高等学校時代の2000年夏に千葉県代表として甲子園へ出場。「5番・中堅手」として、チームの準優勝に貢献した。高校卒業後に国際武道大学へ進学。広い守備範囲と俊足を武器に、千葉県大学リーグで活躍した。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
2005中日
2006
2007
20089930201.333
2009101651205.313
20107400013.000
2011
2012オリックス62541116024.204
20133434901214.265
201462571404511.246
2015673570528.200
20167510101.200
通算12年258214502211065.234

山田憲

内野手 東海大浦安高-日本ハム 2001年 ドラフト7位

東京都出身。東海大浦安高時代、2年時の2000年に遊撃手のレギュラーとして夏の甲子園の準優勝を経験。2001年のプロ野球ドラフト会議で、日本ハムファイターズから7巡目指名を受け入団するが、1軍出場の無いまま2004年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
2002日本ハム
2003
2004
通算3年一軍公式戦出場なし

佐久間浩一

外野手 東海大浦安高-東海大-巨人 1989年 ドラフト4位

東海大学から1989年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名され入団。1996年から1997年までの登録名は佐久間博千。高校時代は「東の佐久間、西の清原」と言われる逸材であった。大学球界でも飛距離ではトップクラスと言われ、その素質は高く買われていたが、右肘に故障を抱えていることから、各球団が指名を見送る中、巨人が強行指名。佐久間自身も悩んだ末、1990年の開幕直前に契約した。プロ入り後は、右肘の故障から右打者への転向も検討されたが、医師の治るという判断で結局、転向はされなかった。巨人退団後、2年間調理師として働いた後に日本ハムに入団したが、結局、一軍出場はならなかった。

年度球団試合打数安打本塁打打点盗塁三振打率
1990巨人
1991
1992
1993
1993年オフに巨人退団、調理師を経て1996年テスト入団でプロ復帰
1996日本ハム
1997
通算6年一軍公式戦出場なし

酒井勉新人王

投手 東海大浦安高-東海大-日立製作所-オリックス 1988年 ドラフト1位

千葉県船橋市出身。東海大浦安高校では、1981年夏の千葉大会準々決勝に進むが銚子商に完封負け。東海大学へ進学。首都大学リーグでは在学中6回の優勝を経験。リーグ通算11試合登板し1勝1敗。他の大学同期に渡辺伸治がいる。大学からの卒業後に日立製作所へ入社すると、1988年の都市対抗野球に出場。同年のドラフト会議で創設されたばかりのオリックス・ブレーブスからドラフト1位指名。1989年に新人王獲得。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
1989オリックス36979154.21183.61
199031655105.1804.10
19912058099.2684.15
19922210110156.01053.29
1993830041.0244.61
1994
1995
1996
通算8年117333114556.23953.78

高野光

投手 東海大浦安高-東海大-ヤクルト 1983年 ドラフト1位

東京都江東区出身。東海大浦安高校に進学して2年生の時、夏の千葉大会で準決勝へ進むが銚子商業に敗れベスト4。1980年に東海大学に進学して野球部に所属。進学当時の東海大には最上級生として、後に巨人で大活躍する原辰徳や日本ハムに入団した津末英明がいた。首都大学リーグでは在学中に5回優勝。187センチの長身から投げ下ろす150km/h近い速球を武器に頭角を現す。1982年の明治神宮野球大会は決勝で大阪商大を破り優勝、1983年の同大会でも決勝で駒大を降し連覇を飾る。リーグ通算37試合登板、23勝1敗、防御率0.91、214奪三振。最高殊勲選手1回、最優秀投手3回、ベストナイン4回受賞。リーグ記録の21連勝を達成した。1983年秋のドラフト会議では大洋、西武、阪急、ヤクルトの4球団から1位指名を受け、ヤクルトが交渉権を獲得した。

年度球団登板勝利敗戦セーブホールド投球回奪三振防御率
1984ヤクルト3810122162.01284.83
1985297110141.11104.97
19863212110209.11413.10
1987387611134.1954.02
198821770116.0763.41
1989412026.0253.46
1990
1991
19921875091.0624.75
1993
1994ダイエー20107.053.86
通算11年182515513887.06424.08