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千葉経大付(千葉経済)高校出身のプロ野球選手一覧表

中村亮太

投手 千葉経大付高-東農大北海道オホーツク-ソフトバンク 2020年 育成ドラフト8位

千葉県四街道市出身。右投右打。支度金300万円、年俸400万円(金額は推定)で入団合意。背番号は137。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
2021 ソフトバンク
2022 2 0 0 0 0 2.2 1 33.75
2023
通算**年

岡本直也

投手 千葉経大付高-東農大北海道オホーツク-ソフトバンク 2018年 育成ドラフト2位

千葉県千葉市出身。左投左打。支度金300万円、年俸400万円(金額は推定)で契約合意。背番号は133。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
2019 ソフトバンク
2020
2021
2022
2023
通算**年

樋越優一

捕手 千葉経大付高-東農大北海道オホーツク-ソフトバンク 2015年 育成ドラフト3位

北海道網走市出身。右投左打。千葉経大付高では3年夏に5番・捕手で出場した千葉県大会ベスト8が最高。当大会では打率.474を記録。高校卒業後は、父親が監督をしている東京農業大学北海道オホーツクへ進学。1年春から公式戦に出場。1年秋に打率.462を記録し、指名打者としてベストナインを受賞。4年から正捕手となり春季に打率.404、10打点の記録で捕手としてベストナイン。秋季に最高殊勲選手を受賞。2015年10月に行われたドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト3位指名を受け入団。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
2016 ソフトバンク
2017
2018
通算3年 一軍公式戦出場なし

松本啓二朗

外野手 千葉経大付高-早稲田大-横浜 2008年 ドラフト1位

千葉県山武郡大網白里町出身。左投左打。父は桜美林高校のエースとして甲子園優勝、弟も甲子園に出場しているサラブレッド家系。小学4年時からリトルリーグの大宮ライオンズに所属して全国大会へ出場。中学1年時に所属した大宮シニアでも全国大会に出場する。千葉経大付高への進学後は、当時監督だった実父・吉啓の下で、3年時の夏に「4番・投手」として選手権全国大会へ出場。ダルビッシュ有擁する東北高との3回戦に延長戦で勝利するなどの快進撃で、準決勝にまで進出した。高校の同級生に井上雄介がいる。

早稲田大で外野手に転向し、1年生秋から右翼手のレギュラー。大学通算96試合出場、333打数105安打、打率.315、2本塁打、44打点。ベストナイン5回。2008年のNPBドラフト会議にて、阪神タイガースと横浜ベイスターズから1位指名を受けて抽選の結果、横浜が独占交渉権を獲得した結果、契約金1億円、年俸1,500万円という条件で入団した。プロではルーキーイヤーの2009年は開幕戦を1番センターでスタメン起用される。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
2009 横浜 22 44 6 0 1 1 10 .136
2010 34 44 13 2 6 1 10 .295
2011 47 104 22 0 11 2 15 .212
2012 18 8 1 0 1 0 1 .125
2013 72 154 38 4 14 0 32 .247
2014 34 54 14 0 5 1 10 .259
2015 51 73 20 1 7 0 19 .274
2016 11 13 2 0 0 0 0 .154
2017 13 12 3 0 0 0 2 .250
通算9年 302 506 119 7 45 5 101 .235

井上雄介

投手 千葉経大付高-青山学院大-楽天 2008年 ドラフト4位

千葉県茂原市出身。実家の近所にタレントの小倉優子が住んでいたらしい。高校時代では、シニア時代からのチームメイトである松本啓二朗と左右の投手の二枚看板を形成し、打線の中軸を担い甲子園出場。大学時代では野手転向を考えるが、大学側は投手として評価していたことから転向せず投手に専念。東都大学リーグ通算39試合登板、8勝11敗、防御率2.61、159奪三振。2013年10月に球団から戦力外通告を受ける。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
2009 楽天
2010 7 1 1 0 0 7.0 1 11.57
2011
2012 2 0 0 0 0 3.2 3 4.91
2013
通算5年 9 1 1 0 0 10.2 4 9.28

斎藤圭祐

投手 千葉経大付高-巨人 2008年 ドラフト3位

千葉県いすみ市出身。高校2年時は一塁手兼投手として甲子園出場。エースとなった3年時は春夏連続で甲子園に出場し、春はベスト4進出。甲子園後は高校日本選抜の一員としてブラジル遠征に参加。秋に巨人から3位指名を受け入団するが、一軍で登板することなく戦力外通告を受ける。2013年はもう一度プロを目指し、6月にカナダのインターカウンティー・ベースボールリーグ(独立リーグ)のキッチナー・パンサーズに入団した。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
2009 巨人
2010
2011
2012
通算4年 一軍公式戦出場なし

丸佳浩最多安打最高出塁率盗塁王MVP

外野手 千葉経大付高-広島 2007年 高校生ドラフト3位

千葉県勝浦市出身。小学3年からソフトボールを始める。中学校時代は投手と遊撃手を兼任。高校時代は野手だったが、高校最後の一年は肩と精神面の強さを買われて投手転向。エースとしてチームを牽引。関東大会を制し初の選抜出場を果たす。2007年の高校生ドラフトで広島東洋カープに3巡目指名を受け野手一本で行くと公言。契約金4000万円、年俸500万円(推定)で仮契約。背番号は「63」。走攻守三拍子揃った外野手。高校通算49本塁打、遠投115m、50m6秒1。プロ1年目の8月にはフレッシュオールスターゲームに出場。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
2008 広島
2009
2010 14 19 3 0 1 1 7 .158
2011 131 435 105 9 50 9 105 .241
2012 106 283 70 4 22 14 59 .247
2013 140 506 138 14 58 29 103 .273
2014 144 536 166 19 67 26 95 .310
2015 143 530 132 19 63 15 143 .249
2016 143 557 162 20 90 23 107 .291
2017 143 556 171 23 92 13 113 .308
2018 125 432 132 39 97 10 130 .306
2019 巨人 143 535 156 27 89 12 125 .292
2020 120 423 120 27 77 8 101 .284
2021 118 392 104 23 55 5 120 .265
2022 143 525 143 27 65 6 88 .272
2023
通算**年

川島亮新人王

投手 千葉経大付高-八戸大-ヤクルト 2003年 ドラフト自由枠

千葉県千葉市出身。背番号は松岡弘、川崎憲次郎が付けていたエースナンバーの「17」を継承。その番号が示す通り、スワローズのエース候補と目される本格派右腕である。爽やかで端正な顔立ちで女性ファンも多い。楽天へ移籍した2012年は一軍登録されることなく同年10月2日に球団から戦力外通告。11月9日の12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなく2013年3月17日に現役引退を発表。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
2004 ヤクルト 23 10 4 0 139.1 128 3.17
2005 20 9 10 0 0 128.1 78 2.81
2006 9 2 2 0 0 47.0 39 3.83
2007 11 4 3 0 0 65.2 35 3.43
2008 20 7 9 0 0 115.0 83 4.70
2009 14 5 6 0 0 73.0 48 4.81
2010 7 1 0 0 1 16.1 12 2.20
2011 1 0 1 0 0 3.0 1 6.00
2012 楽天
通算9年 105 38 35 0 1 587.2 424 3.66

伊与田一範

捕手 千葉経大付高-広島 1995年 ドラフト4位

千葉県千葉市出身。千葉経大附属高時代は投手だった。同級生には南海キャンディーズの山里亮太(バスケ部)がいる。1995年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団後に肩の強さを生かし捕手転向するも、2001年より内野手に転向。長打力はあるものの、毎年ファームでも成績が残せず広島を退団。2002年に地元・千葉ロッテマリーンズへテスト入団。内外野ともに守れる貴重な控え選手として2年間在籍、2003年限りで自由契約。

年度 球団 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
1996 広島
1997
1998
1999
2000 4 4 1 1 1 0 1 .250
2001
2002 ロッテ 27 35 7 1 3 0 11 .200
2003 29 34 6 2 3 1 13 .176
通算8年 60 73 14 4 7 1 25 .192

田中章

投手 千葉経済高-日本通運-巨人 1968年 ドラフト2位

千葉経済高から日本通運浦和を経て、1969年に読売ジャイアンツに入団。1971年に広野功、浜村孝と共に高橋明、梅田邦三とトレードで西鉄ライオンズへ移籍。チーム名が太平洋クラブライオンズへ名称が変わった1973年から、2年続けて2ケタ勝利を挙げた。1976年に大洋ホエールズへ移籍、翌年に現役引退した。

年度 球団 登板 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 奪三振 防御率
1969 巨人 35 3 3 73.1 56 2.96
1970 20 1 0 37.0 31 2.68
1971 西鉄 49 4 9 110.0 53 4.17
1972 57 3 5 143.0 58 2.39
1973 太平洋 52 11 10 143.1 60 2.58
1974 50 12 5 9 131.0 42 2.61
1975 23 2 4 0 81.0 21 4.00
1976 大洋 11 0 0 0 16.2 8 7.41
1977 3 0 0 0 2.0 1 4.50
通算9年 300 36 36 9 737.1 330 3.10
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